仏教とはどのようなものなのか

仏教の歴史とは?

仏教とは?

今回は仏教の歴史などを紹介していきます。

仏像

仏教は今から約2500年ほど前に、インドで仏陀を開祖として説かれた教えで誕生しました。

キリスト教は紀元後すぐ、イスラム教は7世紀前半に誕生とすれば、仏教は三大宗教の中で歴史がもっとも長いという事になります。

仏教はいろいろな国に広がっており、その国々で様々な呼び方や表記があります。

お釈迦さん、釈迦牟尼(しゃかむに)、釈迦、釈迦如来(しゃかにょらい)、釈尊(しゃくそん)、カタカナのシャカ、ブッダ、漢字の仏陀(ぶっだ)、仏、仏さん、古い漢字の佛(ほとけ)、ゴータマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタなど様々あります。

様々な呼び方・表記がありますが、ゴータマ・シッダールタがいわゆるお釈迦様の本名になります。

釈迦とは、部族の名前であり、お釈迦様はこのシャカ族の人であって、しかも王家の人でありました。

仏とは、仏教を開いたガウタマ・シッダールタの事を指します。

仏陀とは「悟った者・真理に目覚めた人」という意味があります。

仏教の歴史とは?

蓮

仏教とは、今から約2500年ほど前に、お釈迦様がインドで始めた宗教です。

インド東部のビハール州にあるブッダガヤは、お釈迦様が厳しい修行を積んだ後に悟りを開いた場所で、マハーボディ寺が建てられています。

お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いて、80歳で入滅するまでに説いた説教が基本となっている宗教です。

ちなみに、80歳だったお釈迦様は、故郷に向かう途中のクシナガラで、腹痛を起こして、入滅しました。

入滅した場所には大涅槃寺と涅槃塔が建てられており、そのクシナガラはインドのウッタル・プラデーシュ州東部にあります。

キリスト教、イスラム教と並んで世界三大宗教の一つで、世界中で約5億人と言われる教徒がおり、三大宗教の中では歴史的に最も長いとされています。

日本の仏教は、6世紀に北インドから中国から朝鮮半島、日本へと伝えられました。

仏教の聖地とは?

仏教の聖地

仏教の聖地は、四大聖地と言われるクシナガラ、ブッダガヤ、ルンビニー、サールナートが有名です。

さらに、ラージャグリハ、サヘート・マヘート、ヴァイシャリ、サンカーシャの4つを加えて八大聖地と呼びます。

ここからは、この八大聖地を紹介していきます。

ルンビニー お釈迦様誕生の地

お釈迦様誕生

お釈迦様は、ヒマラヤ山脈の麓にある現在のネパール王国の領土内にあるルンビニーという小さな村で生まれたと言われております。

お釈迦様のこの世への誕生は以下のようであったと言われております。

お釈迦様の母親のである、摩耶夫人(マーヤー)がお産のため里帰りする途中のルンビニの花園で休憩していた時に、摩耶夫人の脇の下より姿を現しお釈迦様は誕生したと言われております。

また、お釈迦様は出生してすぐに七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)と声を出したと言われております。

ルンビニの遺跡には、マヤ堂・沐浴の池・アショーカ王柱などがあります。

このマヤ堂の西側にあるのが、アショーカ王柱と言われる石柱があり、紀元前3世紀に生存したアショーカ王によって建てられました。

ブダガヤ お釈迦様成道の地

お釈迦様成道

ブダガヤは、インドのビハール州第2の街であるガヤの南約11kmにあって、お釈迦様が悟りを開かれた聖地として有名であります。

町の名称は、お釈迦様に関連して仏陀のガヤがその由来になっております。

お釈迦様が、悟りを開かれた場所に現在は聖大菩提寺(マハー・ボディー寺)が建っており、寺を中心にした寺院町となっております。

お釈迦様が青年期を迎えたある日のこと、東門から出かけた際よぼよぼのおじいさんを見て、自分もいつかは老人になる事を知ったと言われております。

また西門では、お墓に向かう途中の葬式の列を見て、いつかは自分も命を亡くし、骨だけになる事を知ったと言われております。

また南門では、痩せ細った病人を見て、病気にならない人間はいない事を知ったと言われております。

そして北門では、清々しい顔で迷いのない出家修行者に出会い、この時に人間の苦悩を解決してくれるには、出家するしかないと思われたと言われております。

しかし、お釈迦様はすぐに出家する事が出来なかったそうです。

それは、当時跡取りとなる子供がいないと、出家出来ない決まりがありました。

ある日、お釈迦様に男の子が誕生し、父親である浄飯王(じょうぼんのう)に出家を願い出ましたが、認めてもらえませんでした。

その後、父上に「4つの願いを叶えてくれるならばこの国を受け継ぎ、もし出来ないのなら、出家を認めて下さい」と願い出ましたが、またしても認めてもらえませんでした。

お釈迦様はある晩に、お城から脱出をはかりました。

その脱出を手伝ったのが、帝釈天(たいしゃくてん)と梵天(ぼんてん)で古代インドの神々であります。

梵天がお城の中にいる人々を眠らせて、帝釈天の家来の四天王がお釈迦様をお城の外へと連れ出し、やっとの事で出家する事が出来ました。

お釈迦様は出家後、厳しい修行に入ったと言われております。

お釈迦様は出家後すぐに、髪の毛を剃ってお坊さんのスタイルとなりました。

故郷から、数百キロも離れているマガダ国の王舎城(おうしゃじょう)へと旅立ちました。

この王舎城には、5つの山に囲まれており、その中の1つに霊鷲山(りょうじゅせん)というのがあり、出家修行者が沢山居たそうです。

この霊鷲山では、2人の偉大な仙人に坐禅による瞑想法(めいそうほう)を習いましたが、お釈迦様はすぐに2人の仙人の悟りに行きついたと言われております。

お釈迦様の悩みは、ここでは解決せず次に王舎城から70キロ離れた、ガンジス河支流の尼連禅河(にれんぜんが)の畔(ほとり)にあるセーナーニ村に向かいます。

このセーナーニ村では、沢山の出家修行者が苦行により悟りを得ようとしていたと言われております。

この苦行とは、「体を首まで土の中に埋めたまま」「太陽を見続ける」「食事を何日も取らない」「息を止め続ける」「片足で立ちつづける」などです。

苦行の中でも、特に苦しいと言われているのが、食事を何日も取らない断食修行であります。

通常は、断食は21日間が限界とされておりますが、お釈迦様は2倍の42日間を行ったと言われております。

クシナガラ お釈迦様入滅(涅槃)の地

お釈迦様入滅

このクシナガラは、お釈迦様の時代に十六大国の一つであったマッラ族の都であり、現在のインド北部の農村地域にあって、お釈迦様が亡くなられた聖地として有名であります。

お釈迦様の命日は特定されていませんが、ヴァイシャーカ月の満月の夜に亡くなったとされ、南方の国々では5月の満月の日が涅槃会(ねはんえ)を行う日になっております。

このヴァイシャーカ月が、第2の月という意味を持っている事から、中国では2月が亡くなった月と伝えられたようであります。

そのため中国では、涅槃会は2月15日に行われおり、その影響で、日本でも2月15日に涅槃会を行うとされております。

ただ、日本では旧暦の2月は現在の3月にあたるので、寺院によっては3月15日に涅槃会を行う所もあります。

お釈迦様は、故郷のクシナガラに向かう途中で、腹痛を起こし80歳で入滅しました。

この時、頭は北、顔は西、右脇を下にした向きで「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいきょうが)」と呼ばれる寝方をしていたと言われております。

これは、お釈迦様の故郷のカピラヴァストゥが北にあるため頭を向けた、あるいはお釈迦様が身体に良い方向を選んだとも言われております。

また、お釈迦様の足先が少しだけずれており、それがインドでは涅槃の姿であると言われております。

あるいは、入滅は生命の火が吹き消された状態であり、全ての欲望からの解放を意味するという事から涅槃とも言われております。

その徳性は、常(じょう)・楽(らく)・我(が)・浄(じょう)の4つの徳で表されると言われております。

常とは永遠に変わらない事・楽とは苦悩がなく安らかな事・我とは何物にも縛られず自由自在である事・浄とは一切の穢れから離れている事と言われております。

サールナート お釈迦様初転法輪(しょてんぽうりん)の地

サールナート

このサールナートは、ヒンズー教徒の聖地であるベナレスの北約10kmの所にあり、お釈迦様初転法輪(しょてんぽうりん)の聖地と言われております。

お釈迦様が説法を行う事を法の輪を転じられると言う事から転法輪(てんぽうりん)と呼ばれ、初めて説法を行った聖地であるので初転法輪(しょてんぽうりん)の聖地と言われております。

サールナートは、鹿の林であった事から、鹿野苑(ろくやおん)とも呼ばれております。

お釈迦様が、苦行を捨てスジャータが供養した乳粥を召し上がった時に、共に修行をしていた5人の仲間は、「彼は苦行に絶えれなくなり堕落した。彼を捨て私達だけで修行を続けよう。」とし、お釈迦様の元を離れました。

その後、お釈迦様が説法を決意した際に、初めて説法を行ったのが、この苦行時代の5人の旧友でした。

サヘート・マヘート 祇園精舎の鐘の声の地

このサヘート・マヘートは、現在のネパールの国境の約50km南にある、シュラバスティにあったと言われており、サヘートは祇園精舎の跡、マヘートは舎衛城の跡で、合わせてサヘート・マヘートと呼ばれております。

シュラバスティの大富豪であったスダッタは、身寄りのいない人や貧しい人々に食事を与えていた事から給孤独者と呼ばれてしました。

このスダッタは、お釈迦様の説法を聞いた事をきっかけに、仏教に帰依したと言われております。

また、お釈迦様が説教を出来る寺院を建立しようと土地を探します。

その後、土地が見つかり土地所有者であるジェーダ太子に、土地の譲渡の交渉を行いました。

すると太子は、必要な土地を全て金貨で敷き詰め、その敷き詰めた面積分だけ譲ると言われ、スダッタは大富豪であったため金貨で敷き詰め始めると、太子は驚きそのまま土地を譲渡したと言われております。

ラージャグリハ 王舎城(おうしゃじょう)ラジギールの地

このラージャグリハから、お釈迦様入滅のクシナガラまでは約350キロあります。

ラージャグリハは、ガンジス平原の中にあり、岩山に囲まれた所にあって、紀元前6世紀頃栄えていたマガタ国が都としておいた所であり、現在のビハール州の首府であるパトナから約96キロの場所にあります。

パンダヴァ(白善山)、ギッジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(負重山)、イシギリ(仙人掘山)、ヴェープッラ(廣普山)という5つの山に囲まれております。

当初の都は、ギリヴラジャ(旧王舎城)でありましたが、宮殿が火災をおこしたため、ビンビサーラ(頻婆娑羅)王が現在の位置であるラージャグリハ(新王舎城)に遷都したと言われております。

ただ違った説によると、移転させたのはビンビサーラの息子であったアジャータシャトル(阿闍世)王とも言われております。

ヴァイシャリ リッチャビ族の居城跡

ヴァイシャリはパトナからガンガーを渡って、北に55kmのところにあります。

お釈迦様の時代に、ガンジス河北岸に栄えた国であり、リッチャビ人が合議制により国を治めていたと言われております。

この地は、お釈迦様の誕生から涅槃(ねはん)と呼ばれる死までの物語、いわゆる仏伝(ぶつでん)の中で最初と最後に登場するとても大切な場所であります。

お釈迦様が出家された際に、この地の近くに住んでいたアーラーダ・カーラーマという仙人に弟子入りした(別説ではマガダ国)と言われており、お釈迦様の最後の旅の出発点でもあります。

サンカーシャ 三道宝階降下の地

この地は、お釈迦様の母であるマーヤー夫人についての伝説が残っております。

このマーヤー夫人は、お釈迦様を産み落とした7日後にこの世を去ってしまい、そのためお釈迦様は実母を知らずに育ちました。

その後、お釈迦様が悟りをひらいた後に、天界に昇ってマーヤー夫人に説法をしたという話があります。

マーヤー夫人に説法をした後、三筋の階段を帝釈天(たいしゃくてん)と梵天(ぼんてん)と共に、地上に降り立った所がサンカーシャだと言われております。

大乗仏教と小乗仏教の違いとは?

仏教には、上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)いわゆる小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)と大乗仏教(だいじょうぶっきょう)に大きく分けられております。

この乗とは、教えの事で乗り物に例えられております。

小乗とは、サンスクリット語でヒーナヤーナで小さな乗り物を指しており、出家して瞑想や厳しい修行を行った人だけが、悟りを開いて救われるという考え方であります。

この小乗仏教は、ミャンマー、タイ、カンボジアなどの東南アジアに伝わり、現在でも存続しております。

宗派によって変わってきますが、男性僧侶は277、女性僧侶は311の戒律があります。

その内容として、飲酒や性行為の禁止から、誰かをくすぐらないや大声で笑わないなど多岐に渡っております。

一方大乗仏教とは、仏様を宇宙そのものという考えがあります。

お釈迦様が入滅された後、お釈迦様としては全ての人達を救いたかったはずである、という考えに基づいて誕生したのがこの大乗仏教であります。

宇宙の真理である仏陀が、人間であるお釈迦様に姿を変え、この世に派遣されたと考えられております。

人々は、お釈迦様を神格化する思いが強くなり、次第に様々な仏様を拝んで、その力を利用して自身の悟りを促進しようと考えるようになりました。

その結果として、戒律より信仰心を重要視するようになり、現在では、中国・日本など東アジアの仏教がこの大乗仏教です。

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神棚

神棚封じの意味とは?神様に「死」という穢れ(けがれ)が及ばないために行うものです。

これは日本に古くから伝わる神道で、「神様を祀る神棚は尊いものであって、そこに死の穢れがいかないように」という考え方があるためです。

お盆

お盆は、7月や8月の夏に行われる祖先の霊をおもてなしして、供養する仏教行事の事を指します。

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榊は「木」に「神」と書き、神事に使われる木という意味があります。樒は仏前や墓前に供え、榊は神棚に供えます。

精進料理

精進料理とは?和食の代表ですが、仏教の影響を色濃く受けて発展してきた事が大きな特徴です。

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数珠

数珠・念珠の違いは?数珠も念珠も、基本的には同じ物を指します。(諸説あり)

数珠は、仏教でお経や念仏を唱える時に、その回数を数えるために数珠の珠で数えるようになったとされています。

喪中

忌中と喪中の違いとは?忌中とは、一般的に言うと逝去してから四十九日までの期間の事を言います。

この忌中の期間は、家にこもって、故人のために祈り、穢(けが)れを祓(はら)い、過ごし方に気を付けなさいとされています。

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お布施とは?お布施とは、「ダーナ」というインドのサンスクリット語の言葉であり、「与える」という意味です。

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だるまと言えば?達磨(だるま)といえば、テレビの選挙映像や家庭内・オフィスなどでも見られます。

小さい子供の頃の遊びで「にらめっこ」の唄や、鬼ごっこの遊びで「だるまさんが転んだ」、玩具の「だるま落とし」等があります。このだるまのモデルは、禅宗の祖師である達磨大師です。

お経

お経とは?お経とは、お釈迦様の教えを最初はお経のように書き記したものでなく、後々お釈迦様の弟子が口伝えしたものをまとめたものを指します。

お経はインドの経典が中国を経由した後、日本に伝わってきました。日本国内におけるお経の種類ですが、8万4000とも言われており、正確な数はわかっておりません。

宗派

宗派を調べるには?故人の住まいにお仏壇があれば、そのお仏壇から宗派を確認する事が出来ます。

お仏壇は、寺院の様式をそのまま小型化にしたもので、宗派ごとに御本尊と両脇の祖師が違うので、ここが宗派を知る手掛かりになります。

坐禅

坐禅とは?坐禅の指導書として、道元(どうげん)には「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」・「弁道話(べんどうわ)」、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の「坐禅儀(ざぜんぎ)」・「坐禅箴(ざぜんしん)」等があります。

その中の「普勧坐禅儀」では「坐禅は安楽の法門(ほうもん)」と紹介されています。

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三仏忌とは?三仏忌とは、成道会・灌仏会・涅槃会を指します。悟りを開く事を成道(じょうどう)と言われ、12月8日は釈尊(釈迦の尊称)がお悟りになられた日であります。

この日を記念して、8日には成道会(じょうどうえ)と言われる法要を営みます。